2010年2月2日火曜日

SUPPORT YOUR LOCAL vol.2 JFD-003.3

 
■■■DJオーディション

90年代の頭に京都の祇園のはずれにGARDENてなかなかいいクラブがあって、そこでDJオーディションって企画があった(2回あったような気が)。田舎から出てきてクラブに遊びに行くようになり、DJに興味を抱いていたオレはこれはチャンス!とばかりにデモテープを送った。そしてカセットテープを送りつけた6人がとある金曜日に呼ばれて、店は1500円/1Dで通常通り営業。今思えば無茶な企画である。1人30分くらいずつDJして、上位3人は3ヶ月間、月イチ月曜日に枠をもらえる。オレは燃えた。

どうやって順番が決まったのかは覚えてないけど、その日のトップバッターだった彼の顔は以前から知っていて、なんでキヒラさんと一緒にDJやったりしてる人がこんなとこ来てんの?って思ってた。でも、バレアリックというか、彼のDJでフロアは暖かい感じで良かったし、オレも踊った。で、当時、自分はまだそれほど好きじゃなかったNYハウス系のDJが2人目から5人目まで続いて、結局5人目終了まで2人目からひとりもフロアに人が出て来ないという、当時まだクラブも行き始めたばかりであまりよくわかってないオレでもさすがに・・・っていう激寒な展開、さあ、困った。『人前で初めてのDJなんだよなー、一応持っては来たけれど、こーれかけるのは勇気がいるなあ。でもフロアずっとこれやもんなあ・・』と、緊張感マックス(オレもフロアも)のなか、イチかバチかでかけた曲。恥ずかしい思い出だ。でも当時、この時のイロモノDJっていうレッテルを覆す!っていうのがそれ以降しばらくの間自分のモチベーションにあったような気がする。まあさておき、これが項を奏してフロアの緊張がとけ、その後は、その頃大好きだったtower of powerとかホーンセクションが効いてベースがファンキーなんとか、talkin' loudらへんを気持ちよくかけれたのを覚えてる。

店でレギュラー持ってるDJの大先輩方が審査して、1位、トップバッターだったTENちゃん(文句なし)、2位にめでたくオレ入賞、で、3位がNYハウス勢の中で、あ、この人のんは好きかもって思った彼、この3人で月曜日の枠を勝ち取った(自分の記憶では3位だったとずっと思っていたんだけれど、昔のスケジュールひっぱり出してみたら2位って書いてあった。)

TENちゃんの家にはよくフライヤーを作りに行った。モノクロで映える写真を探し、いろんなフォントで英数字が載ってるタイポグラフィーの本を彼は持っていたので、それをローソンで何種類かコピーして、それを1字1字ならべて貼ってクレジットを作る。で、コピーして影の出てるところをホワイトして…非常に手間のかかる作業だった。そんな時代。でも、それが良かった。
記念すべき最初のフライヤーは今でも大事にしている。その後もしばらくTENちゃんとは別の箱で一緒にパーティーをする仲だった。そこが京都のMushroomだった。オレが毎回キメにかける曲が同じでヤダとケンカもしたが。彼はその後CISCO大阪から渋谷へ。現在はWOMBのSTERNE(ご存知石野卓球のパーティー)のレジデントや、昨年からERRって野外のパーティーも仕掛けている。

                     当時のフライヤー

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