2010年2月2日火曜日

SUPPORT YOUR LOCAL vol.2 JFD-003.2

 
■■上田Loft

大阪で年越しのカウントダウンパーティーの撤収を終えてから551の肉まんを手土産に信州の実家へと電車に乗った。20代の頃はほとんど帰らなかった。2、3年前に帰った時、地元の上田駅を降り目に入ってきた看板で、オレの実家のある真田町も含め、まわりの町が合併された事を知った。ライトアップされた駅前からの通りは電柱が地中に埋められ整備されて空が開け、オレらの頃からさびれていたスーパー跡地には高層マンションが建った。けれども自家製の野沢菜漬けと、さすがといわれる上田のりんごの味は相変わらずだ。

冬のコタツでりんごを食べていた小学生の頃から、漠然と高校を卒業したら東京に行くと思っていた。その頃は東京まで特急で3時間くらいはかかったと記憶しているが、新幹線が出来て今ではたったの1時間半、しかし新幹線の下を走る軽井沢~篠ノ井間の在来線はJRから切り離され民間経営の『しなの鉄道』となり、値上がりした。長距離移動者の利便性は上がったが、地元民の足としては痛い五輪効果だった。とはいえ元々車が無いと話にならない山に囲まれたオレの故郷のまわりは、今では山間をトンネルでまっすぐつなぐ高速道路が整備され、高速通勤をしているという便りを高校の同級生からもらったし、市街地でも駐車場がないと店として生き残れないという話も母親から聞いていた。
久しぶりに乗ったしなの鉄道、ドアが手動なのを忘れていた。寒冷地仕様なのだ。

10代の多感な時期はバブル真っ只中の時代だった。小学校から帰るとTVの前にテレコを準備し、7時前からまわりに静かにしてもらってアニメの主題歌が始まったら録音と再生ボタンを一緒に押していた。そんな時に限って父親が「ただいまー」と帰って来たりするのだけれど。中学の頃、たまたまNHK-FMのリクエストアワーで流れてきた『No End Summer』という曲に衝撃を感じ、海の無い長野の山奥で、海辺のドライブをイメージするような曲ばかり好んでひとりで聴くようになった。とはいっても長野では中学まで民放のTVチャンネルは2つしかなく、FMもNHKだけ。何もなかった。高校時代にジャージ姿で初めて行ったコンサートでスクラッチを見て、家にあった親父のレコードプレーヤーで試してみたが出来るはずもなかった。

同時にその頃、遅れてきたDCブランドブームにもヤラれ、ファッション雑誌を読みあさり自分のセンスを磨いてるつもりだった。都会へと続くレールの先には輝かしい未来が待っているというgold digger気取りの井の中の蛙、イコールダサイ田舎者だった。勉強したいのではなく、都会で黒い家具に囲まれて一人暮らしがしたかった。しかしそこでレールは終わっていて、そのまま真っ暗な谷底へ放り出されることとなった。time to lose control...

谷底で残念ながらサーフィンや刺青には興味を示さなかったが、テクノやハウスミュージックといったDJ&CLUB CULTUREに出会えてラッキーだった。その頃はまだ文化とは呼べないが、何か新しい物事が始まるときのエネルギーに魅せられた。初めにジャックありき。そしてジャックはグルーブを産んだ。オーマイガッ!イッツ TECHNO ミュージック!!その中心は93年から3年続いた京都のMushroomという店だった。大学をドロップアウトしてDJをしているという息子を心配して、親父が店に来たことがあった。天井が低くスモークを炊きすぎる癖があったその店で親父は「換気が悪い」と言ってすぐ帰った。それから何件もの店が潰れたけれど、やってることは基本変わらずネバーストップで、あれから20年近くが経とうとしている。ただ長くやればいいってもんでもないが、それでも20年続けばそれはもう文化といっていいんじゃないかと近所の誰かも言っていた。

地元の話に戻るが、上田は合併されたといっても人口たったの16万、典型的な田舎の地方都市だ。そんな街に7年前からクラブがある。あるのは知っていたが、今回ひょんな事から誘いを頂いた。まったく、人の縁とはつくづく不思議だ。

上田Loft。その強気な名前は伊達ではなかった。DJブースは作りと配線がしっかりしていて、ソファーもあるくらい広くとられている。四隅のスピーカーからは重心低めで太く厚みのある音が鳴り、フロアでは気持ちよく体が動くので、年末からの疲労と寒さでこわばっていた体をほぐした。見上げるとミラーボール、ノッてくると天井付近からスモークが出てきて、気の利いた奴がフロアの入り口のカーテンを閉め、密室状態の中ストロボとパーライトが点滅を始める。260万人が住む大阪でもなかなか無いレベルで、音響照明飲み物や逃げ場に到るまで細かな配慮を感じる店だった。好きじゃなきゃ無理なレベル。好きでも知識と経験とある程度まとまったカネがないとあそこまで出来ないレベル。正直驚いた。

「店の若いDJ達にはみな照明もさわらす、そうすると曲を覚える。」と言っていた店のオーナー兼DJである内川さんは、オレのDJオーディションの時の審査員のひとりで、その頃から彼は年がひとまわり上で隣の高校出身の同郷の先輩というのは知ってはいたが、キャリアが違いすぎて当時は気安く喋れるような存在ではなかった。店には彼が海外で買い付けてきた中古レコードも置いていた。グラウンドビート系のセレクションが渋い。

地元にクラブがある事は、オレからすれば単純に嬉しいけれど、地方のただでさえ人口の少ない場所で、信念を持ってやり続けることは相当大変だろう。けれど、音楽やパーティーつながりで出会う人たちとの居心地の良さに都会や地方の差はない。岐阜EMERALDAしかり、米子Breaksしかり。むしろ最近は地方での集まりの方が、人数は少なくとも余計なものもない分ピュアでハングリーなエネルギーを都会よりも感じる。実際この日も上田Loftで、個人的にこの冬イチオシのレコードをかけた時、すぐさま若いDJがブースに飛び込んできて、「僕もこの曲メチャ好きなんですよ!でもこんな風にかけれないんですよねー」というやりとりをした。離れた場所の見知らぬ人を自分の好きな音楽がつないでくれる。嬉しくて、感謝したくなる瞬間だ。他にも地元の連中からいろんなフィードバックがあった。と同時に、幼少期から知らぬ間に持ち続けていた都会幻想は完全に消え去った。都会には都会ならではの醍醐味がもちろんあるけれど、良いものに都会も地方も関係ない。no border under a groove!
この10年で音楽をとりまく状況には急激な変化が訪れた。respect the old, appreciate the new.
そしてそれは音楽だけでなく、社会全体にも変化の大きな波が、静かに確実にやって来ている。オレはそう感じる。そしてそれを歓迎している。楽しむことを続け、より良い楽しみにつなげようと画策中だ。楽な状況ではないけれど、悲観的でもない。当時はそこかしこでかかっていたためtoo muchになり売ってしまったのだが、やっぱり好きだと上田Loftで買い直したレコードはこう歌っている。
have to survive, have to stay alive, livin' in the light.


上田Loft - myspace

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