2012年2月12日日曜日

区切り

先日行われた京都市長選、告示前に中村和雄弁護士の事をメトロ大学を通じて知りました。20代を京都で過ごし、幼少時より描いていたレールとは違う道のりへと進み始める事となったきっかけの詰まった街、京都は自分にとっての第2の故郷と思っていますので、注目していましたが、残念な結果でした。
やはり結果を出すにはインターネットの外での活動ありき、面と向かって対話する事が大事だと改めて感じました。

大阪府警のHPに平成24年度の重点目標が出てます。
平成23年度にはあった「歓楽街総合対策の推進」の文字は消えてます。平成23年度の施策評価計画書
大阪は昨年ひったくりワーストワンに返り咲いてしまったので、そちらにチカラを注がないといけないのか、単に数カ年計画の区切りなのか、その辺は定かではありませんが、自らがリードして歓楽街の適正化に一定の効果をあげ、その手柄で大阪府警から警視庁刑事局長に出世した船井、警察庁刑事局は警察の方向性を決定する部署であるので、奴の意向次第では今後全国的に更に厳しい状況が訪れることも可能性としては十分考えられます。
ワーストワン返上の成果 舟本府警本部長が離任 2011年10月25日 大阪日日新聞

時代遅れでナンセンスな法律は改正して欲しいと強く思いますが、現在の状況でまだ原発を動かそうとしていること、こっちをまずまともにしないと。それさえ出来なければ、風営法改正になんて辿りつけないと思ってます。
原発の再稼働はなんとしても阻止して、不必要な汚染や被爆の拡大を防がないと。
あれからもう1年経ちますね、、。この現実を見据えて行動あるのみ。

前置きは以上、
いよいよ大阪生活も残り僅かとなりました。区切りのパーティーを行います、是非ご参加下さいませ。

コウノも岐阜から戻ってきます、
Maakoは2度目の招集です。今回もポジティブグルーブに期待、
そしてイマコロ大阪初ライブピヨピヨ♪
追加でmind-bendingのODAちゃんがライトで参加してくれます!


確か2001年頃に当時の京都EASTというハコで「JACK」というパーティーを初めて行いました。その時の事は強く印象に残っています。その後大阪に引っ越し、Laba-Labaや大正サウンドチャンネル、Clapperなどを転々としながら今に至ります。思い返せばいろいろありました。すこし昔話にお付き合い下さい。なにせ脳みそがへたってきておりますので多少の記憶違いはご容赦下さいませ。

Laba-Laba時代にコウノがDJの似顔絵をフライヤーに使っていた時期があり、何故かオレだけキャラクターでした。それ以降フライヤーデザインはコウノとああでもないこうでもない、とやってきました。事前にコンセンサスがとれている時はデザインも一発勝負でパッと決まる事が多かった。ここでもコミュニケーションの大切さを学びました。余談ですがこの頃の鶴の間の月間スケジュール、特に初期の雑多な感じが私は大好きです。

大正サウンドチャンネルでは店側のご好意もあり、平日を中心に肩肘張らない集まりをやらせて頂きました。たいして集客できないことに焦りがありましたが、自分が声かけしてやっている集まりだからこその雰囲気というものがある、と実感出来たのもこの頃でした。

周りの友人に恵まれたおかげと地道に続けてきた自身の活動が、この頃思いもよらぬ交友の広がりをみせ、Clapperでは自分が共感を持てるゲストを呼んでの週末隔月開催をやりました。定期開催にあたり、自分のモチベーションを高めるため、パーティー開催時にフリーペーパー(通称:会報)を作成、配布することにしました。レコードど同じく、紙媒体には愛着があります。
これが当blogの元となっております。
コウノとの共同作業はもはや日常でした。また、Clapperの出音は大阪のみならず全国の四つ打ちフリークから信頼されていたのと、オレが信頼する京都の空間演出チームmind-bendingが毎回協力してくれたおかげもあり、この頃やっと「JACK」の存在が自分の友人の周りに少しずつ広がったんじゃないかな。
ところが、人生というのは思い通りにいかないことがしょっちゅうありまして(笑)、ビルの配電盤トラブルのあおりでお店が営業休止。あれは危なかったです。先の見えない途中停車に焦りました。お店の再開を待ってもよかったのですが、ミーティングポイントを作る事に自分はかなり意義を感じていましたので、同じ時期に店の拡張を時間かけて探っていたナオさんに相談し、ホームを移すことを決意したのでした。ちなみにClapper再開の集まりの時、夕方から始まっていたのですが、仕事終わってから深夜に駆けつけまして、空いた酒の量にビビりました・・!

バックルームでは基本毎月開催でやっていく事にしました。そんなチャンスはなかなかないのでありがたかったです。ただ、隔月開催時と同じコンセプトで行うのは無理だったので、けれど基本ラインは引き継ぐという思いでパーティー名を「JACKFORDAZE」に変更しました。・・・2年やってきて未だにパーティー名を読めない人が多数いるというのは想定外でしたが。。
皆さんパーティー名は覚えやすくて愛着を感じてもらえるようにした方がいいです。
3回目からはオレとコウノもレジデントでずっとやって来ました。相変わらずコウノとは週に数度のミーティングをやってました。

同じ時期に、以前の会報に書きましたが、自分の地元にあるクラブとひょんな事から繋がりました。それ以来、レコード持参で帰省するようになり、帰省の頻度が増し、地元でDJを始めた自分よりひと回り若い世代との交流が始まりました。また、DJを始めたことによって出会った長野出身の友人達との交流も、これを機に少しずつ増して来ました。

大阪に居を構えた時は、街すなわち周りの人達の暖かさが居心地良すぎてここに骨をうずめるつもりでしたが、自身の今後の生活、特に実家にまつわる今後についていろいろ考えるにあたって、それまでは田舎に帰るという選択肢は全くありえなかったのですが、可能性が出てきました。そういうタイミングなのかな、と。

自分のパーティー経験を通じて、自分は死ぬまでDJをやっていたいと思うようになり、そのために仕事を、生活をどうするのかという部分、今までの親不孝に対する気持ち、そして「suppot your local」というスローガン。2010年末に自分の中で決心し、あと一年という期限を設定しました。年明けにその決心をコウノに話すと、奴も思う事があったようで、いち早くアイツは動きました。

そして起こった311。JACKFORDAZEをスタートさせるにあたり、「世の中の正気と狂気の入れ替わりが見えづらい現代において」という紹介文を載せていたのですがまさにそれが噴出しまくっています、それとクラブ弾圧の大きなうねり。路上に出たり、情報を足で稼ぐたびに大阪への愛着は深まるばかりです。大阪の宴事情は先の見えない状況が続いていますが、試行錯誤しながら集まる場所をキープして、ノウハウを現場で共有することで、たくましい後発組が続くようになったらいいなあと思います。自分の足で稼ぐという点において、ある意味インターネット以前な遊び方に健全さを感じる時が最近はあります。また、個人的になりますが、いつかまた大阪に来るタイミングで奥の間が無くなってるなんてことが無いよう、皆で大切に守っていって欲しいです。キャリア組はもちろん、ビギナーの遊びの入り口としても有意義で大切な場所なので。パノラマも然り、です。今存在する大切な環境は永遠ではないのです。根無し草のようなオレを受け入れてくれたことにとても感謝しています。同じ思いで、今後は上田Loftに関わっていきます。

少しのつもりが長くなりました。
今後また集う機会は当然あると思っていますので、ファイナルとは敢えて言いませんが、区切りのパーティー、DJです。
是非踊りに来て欲しいです。