2011年6月16日木曜日

第2市民、集まる

6.5と6.11、2週続けて脱原発サウンドデモが大阪でありました。6.5は自分らで企画、6.11は大枠に自分達はサウンドカー部隊で乗っかるという形。
私は両方ともデモ申請にも立会いました。
やりきった感と、問題は今後、って思いとあります。
6.11のデモ明けに毎月の自分のパーティーだったので(先月もそうだった)
結果的にですがちょっと詰め込みすぎて、準備のフォーカスのあて方に自分がついていけてなかった気がします、
そこだけ反省して、質にこだわって今後の動きを見据えたいです。

いつもクラブやパーティーで出会う顔や、デモに行くと会う顔、8年前のイラク反戦のデモの頃に出会ってそれ以来だった、デモが無いと会わない顔(最近はfacebookなんかで連絡取れるようになって、それからはちょっちゅう会うようになった笑)とか、50年60年代の頃によくデモに行っててそれ以来の人、子供連れ、お坊さんたち(大谷派だったかな)、避難してきた人、楽器持った人、風営法で逮捕された人、弾圧され(311以降だけでも全国で100名近くが不当逮捕されている)起訴されてまだ出てこれない人の仲間、この半年各地のデモに出かけては配信しまくってる16歳の自称ニート、などなど、なかなか普段あまり出会う機会のないタイプが集まる場となりました。
まあお題がお題なので、旧態然な各メディアの扱い以上に、市民の関心は高かったです。当然ですね。
あとプラカードのレベルがどんどん上がってますね。
デモ慣れした人が増えてきた感じがします。

集まる場を作るには、まずは集まらねばならぬという、まるで落語の枕みたいな法則があって、これはパーティーオーガナイザーの皆さまなら納得すると思うのですが、出来れば毎週以上くらいの勢いで顔をあわせていかないと、なかなか話が進んで行きませんでした。これは8年前もそうでした。メーリングリストや会議では話は進まず、打ち上げの居酒屋で乾杯してからおかしな命名とかが笑いとともに始まるわけです。
今回は会議ナシで打上げの酒盛りから始めて(メンバー立ち上げからそこまでに2ヶ月かかりましたが)
そこで「6.5原発卒業式」になりました。
近畿を中心に各団体に卒業式の祝電を依頼したところ、ストップ・ザ・もんじゅの会の代表の方からはこんなメッセージを頂きました。

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「6.5原発卒業式、おめでとうございます。大変ユニークな発想に感嘆しています。
日本の54名の原発諸君が無事に卒業され、真に社会の役に立つ存在となられるよう、とりわけ委員長的存在の「もんじゅ」君の卒業を心から願い、祝辞といたします。」

ユニークって言われちゃいました、テヘ。
武田鉄矢の「贈る言葉」の替え歌なんかも届きましたが、歌詞の中に何度も出てくる「日本」のセリフにじんましんが出てしまったスタッフもおりました(笑)
他にも頂いた感激の応援メッセージ、祝辞等は当日発表させて頂きました。
もうひとつだけ、個人的なお気に入りを紹介しときます。東京のDJ Ikkyuuさんより。

『団結によって原発54基を全て廃炉にし、その「喜び」をつまみに旨い酒を一緒に飲みましょう!!「祭り」しましょう!!』
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

デモ内容打ち合わせの件ですが、笑えるのはいいんだけど、実際それをどう実現するのか、ってとこでいつも話が止まって横道にそれてしまう、基本みんな投げっぱなし、それは経験からわかっていたので、今回私は主にそこの折衝担当をつとめました。
よって卒業式、特に式典の式次第の打ち合わせはだいぶアタマが痛く、前日までの数日間はほんと寝れませんでした(笑)
まあしかしリハーサルする時間的余裕もなく、よって当日は簡単な決め事以外はほとんどアドリブ、ノリノリかつグダグダというらしい展開も想定内、音さえ鳴ればなんとかなる、くらいの感じ、それ以外のプレッシャーは警察対応くらいでしたか。
準備が全てで、当日は集まった人の流れに乗るだけです。

また、今回デモをするにあたって集まった連中は、基本DIYで自分達で出来る形を模索していく、そんなタイプが多く、実行委員会と名乗るもどこまでが委員なのか実に微妙で、本人のやる気が全てでした。また、委員会自体は出来る限り開かれた存在であるべき、というのがあるんですが、中には2日前になって代理人から打診が来て、機材数個とアンプを持参して、DJにノイズを乗せたいから電源ひとつ用意してくれ、なんて安易に(と感じてしまわざるを得ない)乗っかってこようとする面倒くさいタイプなんかも現れました。私は直接対応していないのですが(仕事の極意とは、なるべく自分が仕事をしない、というタイプの集まりでもありました。責任感の欠如という意味ではありませんので笑)結局本人と電話で連絡取れたのが当日のスタート数時間前、トラックの雨対策を行っていた最中だったのですが、先方はやる気満々で準備していた模様で、今さら無理と言われても困る、と言われこちらが困りました(笑)現状、原発問題はまだまだこれからなので、今後、デモの気配を察知したら、是非自らが積極的にデモ作りから参加して欲しいものです。もしくは自ら呼びかけてしまうか。なにより大切なのは器づくりです。そこの大切さに多少なりとも意識が向いてないと、デモ参加者の心にすら響きません。
そういえば、仕事を1日に2回も抜け出して、公園でのバナー作りに参加してきた人もいました。

まあいろいろありましたが、両日ともに逮捕者も出ず、本当に良かったです。
というかなんでサウンドカー周辺だけあんな目の敵みたいに警察の数を増やすのでしょうか。現在大阪のクラブとその周辺エリアのお店、街すら一連の風営法の摘発とそのあおりで瀕死の状態なんですが、多くの市民にとってみたらクラブシーンなんて視界にも入らなくて、生きてても死んでても構わない程度のものかもしれません。
けれどあの両日ともサウンドカー周辺に集まっていたのは、まさにそのエリアに生息してる人が多数でした。
そして、そういうタイプの人達を実際に見た、クラブなんて行ったことのない人達に、一体我々はどう映ったのでしょうか?
そこが、今回果たせた、大阪の底力的な、とても良かった部分だったと思います。

また、いままであまり深く気にしなかったことを、デモへの参加がきっかけで気にし始める事がそれぞれにあったと思うので、そこの部分の成熟が、今後の社会が進む方向の鍵を握っているように感じます。まあ、そこは、デモに参加するしないに限りませんが。世代・タイプ問わず世の中にはいろんな人がいるのを実感できる手っ取り早い場であるのが、デモのいいところなのでは?とも思います。

逆に言うと、今の日本の社会は、それくらいがんじがらめで他者と分断されまくっている。メールより電話、電話より会って話す。そういう当たり前のことを、稼ぐことに忙殺され忘れてしまったり。忘れてるうちに、会う場はどんどん無くなっていく。

私事ですが、あいだに友人の結婚パーティーや、深夜の招待制ダンスパーティーのあと母の実家の法事へ10年ぶりに出かけ、自分と歳のそんなに変わらないお坊さんや初対面の親戚たちと、根をはる事の大切さについて話をしたり(家族、親戚といえどもなかなか放射能の話はしづらいですね...)といろんな「場」のあった濃密な数週間でありました。
もともと、計画立てて行動するタイプでもなく、人生のほとんどを流れと勢いで乗り切ってきたタイプなのですが、
なんというか、この詰め込んじゃうクセみたいなん、どうにかならんもんかと思いますが、多分どうにもならないんでしょうね...
話を戻します、でも問題はこれからの事です。
現・実行委員会のメンバーで2週続けてはさすがに人手がギリギリで、一部の者の負担が大きかったです。
それと警察対応について、もっと多くの人、特に今後デモをしたいと思う人には是非とも知っておいて欲しいので、デモ申請の顛末記をどこかにまとめるつもりです。東京はトラックの上でバンドが演奏してるけれど、6.5大阪は荷台乗車許可1名は粘って確保したものの、安全確保のため、椅子に座れで押し切られてしまいました。逆に前例を作ってしまうとこちらが押し切れたりもします。けれどデモ前日に渡される許可証をみたら、追加で演奏はダメと書かれていました。(ずるいです)
デモ申請、そういうのに対する戦略が必要なので、はっきり言って面倒くさいですが、デモは誰でも出来るので(許可制で内容のしょうもないところにケチつけられるのは納得行きませんが)ノウハウは共有しとくべきですね。
なにより、デモでも直接でも、とにかく態度表明しとかないと、デタラメ連中からなめられっぱなしなので、奴らに

「お前らの仕事っぷりはちゃんと見てるぞ」

と思わせること、奴らが見られていることを意識して仕事をする事が日本の社会のデフォルトになるまで、デモは続くんだと思っています。
そうなるとぶっちゃけ転覆しかないんですが、、
奴ら以上に、我々側の変革の波をもっともっと大きくしていかないと、現実はいろいろと厳しいままです。
デモ申請の場で一緒だったもんじゅの会の方も、そこは全く楽観していませんでした。
少なくとも、お金や人でなしではなく、人間が社会の主役になって欲しいと強く願います。人でなしに早々に見切りをつけた人たちは、自分達のネットワークで助け合い、資本もなるべく奴ら側に渡らないよう注意し、生活しています。

6.11サウンドカー部隊は自分ら企画ではなく乗っかりだったのですが(我々側のメンバー数名がそちらの会議にも出かけ調整を行いました)、あの人数の集まりを準備したもんじゅの会のみなさまには本当に頭が下がります。この1ヶ月は本来の仕事が全く出来ていないとおっしゃってました。
もんじゅの会発表は4500人でしたが、それはおそらくスタート時のカウントだと思われます。
内緒の余談ですが、御堂筋で警察の警備が穴になるポイント(ホットスポットw)があることを6.5の時に発見し、6.11の時は先回りして街行く人に向かって、誰にも注意されることなくトラメガでアピールしてたんですが、信号待ちしてるサウンドカーを見ると、デモ隊列が膨れ上がって歩道も一緒くたになっていて、実に快挙でわっしょいわっしょいな瞬間でした。私の知る限り大阪では初めてです。以前京都ではありました。
更にサウンドシステム撤収時に新宿アルタ前に2万人が集結しT.A.Z.状態!!!との情報が入ってきて、うわー東京スゲエなーって思いました。
繰り返しますが、裏を返せばそれくらい今の日本は、危機的状態です。

かつて、イラク戦争の頃、我々は「その他。」と名乗り関西で反戦デモをオーガナイズしました、それはデモに出発する際の
「それではデモに出発します。市民団体、労働組合、党派隊列、学生、その他の順で・・」
という場合の「その他」ってのはオレらの事を言うんだな、というのに由来しているのですが、
その頃からの仲間が今回6.11の申請書類を見たところ、デモに出発する際の隊列の順番は
「市民・労働組合・第2市民」
と書いてあったとの事です。もちろん「2つめの市民隊列」という意味なのですが。
我々サウンドカー部隊が最後尾でした。

という訳でみなさんご一緒に。

 第2市民ばんざーい!!!!!!!!!!!!

(笑)


311以降、関西での脱原発デモにおける参加者の声
http://www.youtube.com/user/55gen
6.5原発卒業デモや、ドイツの脱原発デモの映像など
http://www.youtube.com/user/skichi
6.5原発(強制)卒業式HP
http://osaka-antinukes.tumblr.com
6.5PV (youtube) さっさと卒業しやがれ!
http://t.co/KU8Hh3r




内容の順序が逆ではありますが、
デモ後のバックルームに来てくださった方々、ありがとうございました。
毎月のJACKFORDAZEは、社会状況に負けずコンセプトを貫いていきますので、
今後もよろしくお願いします。

7月はゲストにマスモトアツコ、mikiakoの2名を迎え、7/9の土曜に開催します。
8月はあの人。1stアルバムリリースツアーです。