2010年4月29日木曜日

2度目の上田LOFT

行ってきました。
今回は大阪からKIHIRAさん、長野MANCHEEZのOKIくんと、BATH TIMEというパーティーに参加しました。
翌日は長野のROOTSで前日のメンバー+TOMOKI A HEART、そして内川さんとでわいわいとブースをJACKして来ました。
いろんな出会い、再会があり、新しい交わりも生まれ、益々今後が楽しみになって来ました。

上田LOFTでのミックスをアップしました。
右側のプレーヤー、もしくは
http://jackfordaze.podomatic.com/
からどうぞ。

2010年4月9日金曜日

JFD-004

■World Respect Detroit Day

というわけで行ってきました313の日。岐阜の駅から歩いて5分、みんなもうメシ食ってんだろうなと創作居酒屋「亀甲」の前まで来たら、店内から友人が携帯片手に勢い良く出てきた。どうやら、早く上にあるクラブ「エメラルダ」のフロアにあがってこいとの催促の電話なご様子。彼は両店のオーナーだ。お互い口パクとジェスチャーで挨拶を交わす。店の中2階のやぐら席には、何年か前の大阪宗右衛門町以来のクロード・ヤングが日本酒を呑んでいた。
クロードといえば2002年頃に京都のコンテナ跡地で行われたパーティー Squattin' の印象が個人的に強い。挨拶してすぐ、「京都のK、覚えてる?」と話を振ると、「オー、Kイズマイブラザー!!!」と言うので、「ベイビーが今度2人目やで」と言ったら、「・・アンビリーバブル・・」と両手を頬のポーズで非常に驚いていた。先程のオーナーとお互いのiphoneで娘やら猫やらを見せあったりと、相変わらずご機嫌なクロード。岐阜の女子からも「DJも人柄もいいし、かわいい!」と評判で、パーティー終了時には皆からすっかり慕われ「クロヤン、クロヤン」と呼ばれていた。
今宵をサポートするローカルのDJ達がとても歓迎してくれるので、嬉しくてこっちもいきなり呑みに入ってしまう。クロードは熱燗、オレがビールをおかわりすると、東京からクロードと一緒に来ていた初対面のTK君から「まーだ呑むんかい!」と何故か関西弁で突っ込まれた。呑助に手馴れた応対をする彼は、クロードのDJ中に手を挙げて踊りまくってた。そのうしろでオレも、だが。
TK君のとなりに座って飛騨牛やらをつまんでたガタイのいいN君を紹介された。パーティー中に踊り疲れて上に栄養補給しに行ったら、彼はフードブースのとなりで黒人女性の絵を描きあげていた。その絵にはソウルが溢れていて、素直にスゴイと思った。京都ウーピーズの楽屋の絵を描いた人だった。

今どき、パーティーにデトロイトの冠をつけた所でそんなに人が集まる訳じゃないが、コズミックだとか、ブラック・サイケデリックだとか、それぞれの宇宙を心に秘め、この日集まった連中は、デトロイト・テクノやパーティーに対してそれぞれの想いがあっただろうけれど、クロードは存分にそれに応えてくれた。ハードなマシーングルーブもハウスマナーもバッチリで、フロアの熱は最後まで冷めることは無かった。前回来た時も感じたけど、やっぱり岐阜はフロアの反応が素直で良い。たとえば、終盤 ACID TRAX をハードフロアの Acperience1 のロングブレイクまでロングミックス。とか、もう今どき滅多にありえない瞬間をフロアで共有出来た。東京のレコ屋 technique の社名にもなっているエナジーフラッシュとかも久々に聴けたし、ガン踊り!
313の日に303、それだけでメシが3杯食えるってもんです。まあそこまでの奴は少数だったと思うけど、そんなマニアなデト・オタがフロアを引っ張り、それ以外も結構な数が集まり、フロアが煽ればクロードが煽り返し、更にフロアも煽る。熱気があり、箱のほうぼうで話も弾んでいた。当のクロードは4時間近くプレイした後、最後まで残った笑顔の客十数名に囲まれ
「今日は3月13日でデトロイトのエリアコードは313でしょ?だから今日は、ワールド・リスペクト・デトロイト・デーってことで、今日ここに呼ばれたんだよ。」って興奮冷めやまない客から今更言われてて、しかも
「そうなの?」とか答えてるし超ウケた。
だべってなかなか帰らない皆に向かって、レモン酎ハイでヘロヘロのオーナーが「みんな今日もありがとう! はよ帰って!!」と爆笑の挨拶で〆。

パーティー後は、店からほど遠くない所に住んでる友人夫婦の家に今回もお世話になった。実は神社が好きだというクロードが昼の2時頃、近所の神社を観光してたらしいのだが全く起きれず。夕方、鶏が旨いと地元で評判の「あかねや」に連れてってもらい、迎え酒。鉄網で焼いた肉の野性的な歯ごたえと甘い肉汁を堪能、ホルモンは口のなかで溶けて無くなっていった。
しばらくして、以前岐阜でmagot brainという素敵な名前の店をやっていたという、「通称・岐阜のグランドマザー」が笑顔でポーズをとってやってきて、隣に着席。
「今どきまだDJやってるってことは、アナタもおぼっちゃん?」などとからかわれるが、オレの半端な学歴と今のシノギの内容を伝えると、グランドマザーはカウンターにひれふしてしばらく嘆いていた。世話好きなタイプで、友人夫婦もだいぶお世話になったクチみたいだ。それぞれの土地に、それぞれの物語がある。韓流の若手イケメンを携帯の待ち受けにして、フレディー・マーキュリーと待ち合わせしてるというマザーは、フレディーが来るのを待たずに鴨肉の鍋をつつき始め、オレ達にもわけてくれる。これまた生命力を感じる味で旨かった。「4月にレコード持ってまた来るので是非来て下さい」と伝えると「ああ、カメラルダ?」と返してくるグランドマザー。こういう楽しい人は大好きだ。

パーティー明けの日曜日に、こういう感じで家族とも呼べる仲間とほっこりした時間を過ごした後の気持ち。帰りたくない。しかし、帰らねば。1978年に出版されたNYのゲイ・ライフが描かれた「ダンサー・フロム・ザ・ダンス」という、音もだち夫妻から以前借りたが、重厚な内容の為なかなか読めてなかった小説を持参し、道中の電車内で読んだ。岐阜は近いのでそんなに進まなかったが、行きは
『だが彼らの顔が、これ以上はないほど甘く幸せに輝く瞬間がある。全員がひとつになって、溶け合う瞬間がある。彼らはそのときのためにここに来るのだ。それはだいたい朝の六時半ごろに起こる。彼らは汗びっしょりのTシャツを投げ捨て、
「Make me believe in you, show me the love can be true.」と歌うパティ・ジョーに合わせて叫びだす』
という描写に、以前から好きだった曲にそんな逸話があることを知り興奮したが、帰りは日曜日の今の自分の状況と、その本に描かれるマローンという人物の日曜の孤独とが共鳴してしまい、とてもセンチメンタルな気分になった。

DJだけじゃなく本気で占いもしてる友人曰く、「2009年の12月末頃からずっと逆行してた火星が、313の2日前に順行に戻った」そうで、なんかスムーズに行かない、やる気が出ないなどそういう時期にあったのが、順行に戻ったことで今まで停滞していた事がいきなり進んだり、やる気が出て来たり。世の中全体が前に進もうという空気をどこかで感じられ、元気がなかった人も元気が出てくるタイミング、らしい。
確かにこの週末になって、今まで溜まってた事がいろいろ動き始めたりしている。この春はそれに集中しよう。
帰ってから景気づけに red planet のstar dancerを聴いた。前に進もうという気が湧いてくる。やっぱり名曲だ!

NEW LABEL JFD-004

■NEW LABEL INFO

90年代半ばより一貫してCHICAGO, DETROITのHOUSE, TECHNOをサポートし続け、近年は親交の深いDJ 3000のレーベルよりリリース活動を行ってきた DJ COMPUFUNK a.k.a. LOVEGODによる、同名のセルフレーベルがスタート。

REMIXERには同じ大阪、そして同世代で活躍するARTISTの一人である ALTZ, そしてURから MOMADICO a.k.a. DJ DEX が参加。デジタルリリースが主流となりつつある昨今、あくまでアナログのリリースにこだわった熱い思いが封じ込められた一枚が UNDERGROUND GALLERY のサポートにより、2010年4月リリース予定。


MORE INFO
http://www.compufunk.com
http://www.undergroundgallery.jp

(紙面上で一部間違いがありました、こちらが訂正版です。申し訳ありません。)

2010年3月27日土曜日

NEW CLUB & PARTY!

■レコ屋の奥にDANCE FLOOR! JACKFORDAZE launch party!!

大阪、堀江で十数年に渡り、シカゴ・デトロイト系を中心にテクノ、ハウスのヴァイナルをサポートし続けてきたCOMPUFUNK RECORDSに4月からBACKROOMが出来ます。そこでレギュラーパーティー始めます。

by JACKFORDAZE

■■COMPUFUNK RECORDS_BACKROOM
B1 HORIEDAIKYO BLD. 1-2-25 KITAHORIE NISHI-KU OSAKA
TEL 06-6536-0065
http://www.compufunk.com


■4/17 sat JACKFORDAZE launch party!

DJs: kunio asai (Brilliant*), kono, handa
FOOD & BAR: abetica, kaoru♥
FLOOR EFFECT: SAKI & ERiNi

22:00 start
¥1500/1D

do it ourselves style.

2010年2月9日火曜日

【号外】

■壊れた十年

去年の12月にサンチャンでDJしたとき、バーでオレに向かって「半蔵さんて、HOUSEFORCEですよね?」と喋りかけてきた奴がいて、ええ今更?!ってなって話をした(わからない方は流して下さい)。振られた話に何気なく答えたら奴は深く考え込んでしまったので、しまったと思い、その後は言葉を選んで喋った。その時期オレはアシッドハウス熱に猛烈にやられてたのだけれど、オレのDJ中からそいつの動きが激しくなってきて、その後はブースにぶつかりまくりやがって、迷惑な奴やと思った。店のヒゲのスタッフがうまく対応してくれた。でもオレがもっと暖かい音をかけてたらそうはならなかったのに、って実際思った位、素直さも感じた。
そいつのあまり良くない評判は聞いてたけど、実際それがそいつと知ったのは後になってからだった。同じ空間にいた事は何度もあったみたいだけれど、向きあって喋ったのはその時だけだった。今日起きてPC開けたら友人の日記でそいつが自殺をしたと知った。

先週末、「ゼロ年代の音楽 壊れた十年」を読みながら京都の兄貴のところに散髪に行った、はずなのにちょっとしたミーティングが始まり喋りまくった。美容師とDJ兼パーティーオーガナイザーとの職人同盟、お互いの今後の展開について、ちっちゃな話ではなく、おっきな話なんかないの?っていう話。
ふたりともおっきな話の行先は「社会貢献がしたいねん!!」という所だった。気がつけば店に来てから2時間以上経っていて、そろそろ髪切らないと終電間に合わない、って事でやっと散髪が始まった。外は吹雪いてたけれど、だいぶホットな店内だった。出来上がった髪型は非常に気に入っている。

何が言いたいのかというと、小泉以降確実に分断されて壊れた社会を、自分らの手で取り戻したい、ということだ。ミーティングポイントの役割は重要だけれど、行政とか体制側にそれを期待するよりも、自分らの手でそれを作った方が早く、機能的だと思う。言葉でいうほど簡単じゃないし、もちろん世の中全ての人に対してなんてとても出来ないけれども、自分の手の届く範囲でなんとかしたいと真剣に思う。それをやりながら、手法だけ公開するから後は自分らでやってくれ、と思う。ジャンル問わずそういう人達の連帯が無ければ、個の力だけではどうしようもならないところに今の社会は追い詰められていて、みんながしんどい。だから考えるのを放棄して、もしくは誘導された枠組みの中でしか考える力を持てず、挙句の果てに、何でも死刑にしてしまえ!という民意が増えてしまうのだと感じる。(死刑容認、過去最高の85・6%… 内閣府調査 読売新聞 - 02月06日 18:29)

でもそれじゃダメだ!ってのが、今の自分のモチベーションです。
参考リンク

そんな事も考えつつ、、

「踊ることは瞑想することだ。なぜなら、宇宙は踊っているからだ。そして、宇宙が踊っているのだから、踊らないものには、何が起こっているのかわからないのだ」

■Social Infection presents 地下茎210 at NOON ■
  --- with HAMASTAR SOUND SYSTEM ---

2010年2月2日火曜日

SUPPORT YOUR LOCAL vol.2 JFD-003.3

 
■■■DJオーディション

90年代の頭に京都の祇園のはずれにGARDENてなかなかいいクラブがあって、そこでDJオーディションって企画があった(2回あったような気が)。田舎から出てきてクラブに遊びに行くようになり、DJに興味を抱いていたオレはこれはチャンス!とばかりにデモテープを送った。そしてカセットテープを送りつけた6人がとある金曜日に呼ばれて、店は1500円/1Dで通常通り営業。今思えば無茶な企画である。1人30分くらいずつDJして、上位3人は3ヶ月間、月イチ月曜日に枠をもらえる。オレは燃えた。

どうやって順番が決まったのかは覚えてないけど、その日のトップバッターだった彼の顔は以前から知っていて、なんでキヒラさんと一緒にDJやったりしてる人がこんなとこ来てんの?って思ってた。でも、バレアリックというか、彼のDJでフロアは暖かい感じで良かったし、オレも踊った。で、当時、自分はまだそれほど好きじゃなかったNYハウス系のDJが2人目から5人目まで続いて、結局5人目終了まで2人目からひとりもフロアに人が出て来ないという、当時まだクラブも行き始めたばかりであまりよくわかってないオレでもさすがに・・・っていう激寒な展開、さあ、困った。『人前で初めてのDJなんだよなー、一応持っては来たけれど、こーれかけるのは勇気がいるなあ。でもフロアずっとこれやもんなあ・・』と、緊張感マックス(オレもフロアも)のなか、イチかバチかでかけた曲。恥ずかしい思い出だ。でも当時、この時のイロモノDJっていうレッテルを覆す!っていうのがそれ以降しばらくの間自分のモチベーションにあったような気がする。まあさておき、これが項を奏してフロアの緊張がとけ、その後は、その頃大好きだったtower of powerとかホーンセクションが効いてベースがファンキーなんとか、talkin' loudらへんを気持ちよくかけれたのを覚えてる。

店でレギュラー持ってるDJの大先輩方が審査して、1位、トップバッターだったTENちゃん(文句なし)、2位にめでたくオレ入賞、で、3位がNYハウス勢の中で、あ、この人のんは好きかもって思った彼、この3人で月曜日の枠を勝ち取った(自分の記憶では3位だったとずっと思っていたんだけれど、昔のスケジュールひっぱり出してみたら2位って書いてあった。)

TENちゃんの家にはよくフライヤーを作りに行った。モノクロで映える写真を探し、いろんなフォントで英数字が載ってるタイポグラフィーの本を彼は持っていたので、それをローソンで何種類かコピーして、それを1字1字ならべて貼ってクレジットを作る。で、コピーして影の出てるところをホワイトして…非常に手間のかかる作業だった。そんな時代。でも、それが良かった。
記念すべき最初のフライヤーは今でも大事にしている。その後もしばらくTENちゃんとは別の箱で一緒にパーティーをする仲だった。そこが京都のMushroomだった。オレが毎回キメにかける曲が同じでヤダとケンカもしたが。彼はその後CISCO大阪から渋谷へ。現在はWOMBのSTERNE(ご存知石野卓球のパーティー)のレジデントや、昨年からERRって野外のパーティーも仕掛けている。

                     当時のフライヤー

SUPPORT YOUR LOCAL vol.2 JFD-003.2

 
■■上田Loft

大阪で年越しのカウントダウンパーティーの撤収を終えてから551の肉まんを手土産に信州の実家へと電車に乗った。20代の頃はほとんど帰らなかった。2、3年前に帰った時、地元の上田駅を降り目に入ってきた看板で、オレの実家のある真田町も含め、まわりの町が合併された事を知った。ライトアップされた駅前からの通りは電柱が地中に埋められ整備されて空が開け、オレらの頃からさびれていたスーパー跡地には高層マンションが建った。けれども自家製の野沢菜漬けと、さすがといわれる上田のりんごの味は相変わらずだ。

冬のコタツでりんごを食べていた小学生の頃から、漠然と高校を卒業したら東京に行くと思っていた。その頃は東京まで特急で3時間くらいはかかったと記憶しているが、新幹線が出来て今ではたったの1時間半、しかし新幹線の下を走る軽井沢~篠ノ井間の在来線はJRから切り離され民間経営の『しなの鉄道』となり、値上がりした。長距離移動者の利便性は上がったが、地元民の足としては痛い五輪効果だった。とはいえ元々車が無いと話にならない山に囲まれたオレの故郷のまわりは、今では山間をトンネルでまっすぐつなぐ高速道路が整備され、高速通勤をしているという便りを高校の同級生からもらったし、市街地でも駐車場がないと店として生き残れないという話も母親から聞いていた。
久しぶりに乗ったしなの鉄道、ドアが手動なのを忘れていた。寒冷地仕様なのだ。

10代の多感な時期はバブル真っ只中の時代だった。小学校から帰るとTVの前にテレコを準備し、7時前からまわりに静かにしてもらってアニメの主題歌が始まったら録音と再生ボタンを一緒に押していた。そんな時に限って父親が「ただいまー」と帰って来たりするのだけれど。中学の頃、たまたまNHK-FMのリクエストアワーで流れてきた『No End Summer』という曲に衝撃を感じ、海の無い長野の山奥で、海辺のドライブをイメージするような曲ばかり好んでひとりで聴くようになった。とはいっても長野では中学まで民放のTVチャンネルは2つしかなく、FMもNHKだけ。何もなかった。高校時代にジャージ姿で初めて行ったコンサートでスクラッチを見て、家にあった親父のレコードプレーヤーで試してみたが出来るはずもなかった。

同時にその頃、遅れてきたDCブランドブームにもヤラれ、ファッション雑誌を読みあさり自分のセンスを磨いてるつもりだった。都会へと続くレールの先には輝かしい未来が待っているというgold digger気取りの井の中の蛙、イコールダサイ田舎者だった。勉強したいのではなく、都会で黒い家具に囲まれて一人暮らしがしたかった。しかしそこでレールは終わっていて、そのまま真っ暗な谷底へ放り出されることとなった。time to lose control...

谷底で残念ながらサーフィンや刺青には興味を示さなかったが、テクノやハウスミュージックといったDJ&CLUB CULTUREに出会えてラッキーだった。その頃はまだ文化とは呼べないが、何か新しい物事が始まるときのエネルギーに魅せられた。初めにジャックありき。そしてジャックはグルーブを産んだ。オーマイガッ!イッツ TECHNO ミュージック!!その中心は93年から3年続いた京都のMushroomという店だった。大学をドロップアウトしてDJをしているという息子を心配して、親父が店に来たことがあった。天井が低くスモークを炊きすぎる癖があったその店で親父は「換気が悪い」と言ってすぐ帰った。それから何件もの店が潰れたけれど、やってることは基本変わらずネバーストップで、あれから20年近くが経とうとしている。ただ長くやればいいってもんでもないが、それでも20年続けばそれはもう文化といっていいんじゃないかと近所の誰かも言っていた。

地元の話に戻るが、上田は合併されたといっても人口たったの16万、典型的な田舎の地方都市だ。そんな街に7年前からクラブがある。あるのは知っていたが、今回ひょんな事から誘いを頂いた。まったく、人の縁とはつくづく不思議だ。

上田Loft。その強気な名前は伊達ではなかった。DJブースは作りと配線がしっかりしていて、ソファーもあるくらい広くとられている。四隅のスピーカーからは重心低めで太く厚みのある音が鳴り、フロアでは気持ちよく体が動くので、年末からの疲労と寒さでこわばっていた体をほぐした。見上げるとミラーボール、ノッてくると天井付近からスモークが出てきて、気の利いた奴がフロアの入り口のカーテンを閉め、密室状態の中ストロボとパーライトが点滅を始める。260万人が住む大阪でもなかなか無いレベルで、音響照明飲み物や逃げ場に到るまで細かな配慮を感じる店だった。好きじゃなきゃ無理なレベル。好きでも知識と経験とある程度まとまったカネがないとあそこまで出来ないレベル。正直驚いた。

「店の若いDJ達にはみな照明もさわらす、そうすると曲を覚える。」と言っていた店のオーナー兼DJである内川さんは、オレのDJオーディションの時の審査員のひとりで、その頃から彼は年がひとまわり上で隣の高校出身の同郷の先輩というのは知ってはいたが、キャリアが違いすぎて当時は気安く喋れるような存在ではなかった。店には彼が海外で買い付けてきた中古レコードも置いていた。グラウンドビート系のセレクションが渋い。

地元にクラブがある事は、オレからすれば単純に嬉しいけれど、地方のただでさえ人口の少ない場所で、信念を持ってやり続けることは相当大変だろう。けれど、音楽やパーティーつながりで出会う人たちとの居心地の良さに都会や地方の差はない。岐阜EMERALDAしかり、米子Breaksしかり。むしろ最近は地方での集まりの方が、人数は少なくとも余計なものもない分ピュアでハングリーなエネルギーを都会よりも感じる。実際この日も上田Loftで、個人的にこの冬イチオシのレコードをかけた時、すぐさま若いDJがブースに飛び込んできて、「僕もこの曲メチャ好きなんですよ!でもこんな風にかけれないんですよねー」というやりとりをした。離れた場所の見知らぬ人を自分の好きな音楽がつないでくれる。嬉しくて、感謝したくなる瞬間だ。他にも地元の連中からいろんなフィードバックがあった。と同時に、幼少期から知らぬ間に持ち続けていた都会幻想は完全に消え去った。都会には都会ならではの醍醐味がもちろんあるけれど、良いものに都会も地方も関係ない。no border under a groove!
この10年で音楽をとりまく状況には急激な変化が訪れた。respect the old, appreciate the new.
そしてそれは音楽だけでなく、社会全体にも変化の大きな波が、静かに確実にやって来ている。オレはそう感じる。そしてそれを歓迎している。楽しむことを続け、より良い楽しみにつなげようと画策中だ。楽な状況ではないけれど、悲観的でもない。当時はそこかしこでかかっていたためtoo muchになり売ってしまったのだが、やっぱり好きだと上田Loftで買い直したレコードはこう歌っている。
have to survive, have to stay alive, livin' in the light.


上田Loft - myspace

2010年2月1日月曜日

SUPPORT YOUR LOCAL vol.2 JFD-003.1

 
■超越音狂(ちょうえつおんきょう)@米子Breaks

年も押し迫る寒空の中、楽しげな匂いを察知した我々はノーマルタイヤのレンタカーに乗り込み米子Breaksへ向かった。超越音狂というパーティーの前に松江在住の古い音モダチと合流、出雲で瓦そばと温泉。出雲の国というだけあって、うごめく雲と満月に目を奪われながらの露天はこれぞ最高。パーティーと温泉のセットはとても贅沢な気分で、体も心もほぐれる。その後松江に戻り、支度して米子へ車で30分ちょっと。前日福山でDJしてた京都の友人を呼び出し、現地で合流することに。彼は米子駅まで電車で、そこからタクシーの運ちゃんにBreaksの住所を伝え乗車したものの、運ちゃん見事に迷子。それもそのはず、Breaksは田舎道にぽつんと建つ元パチンコ屋をクラブスペースに改造した箱で、運ちゃんはその事を知る由もなかったのだ。

結構な広さで、パチスロコーナー跡がダンスフロアとバー、パチンココーナー跡がチルスペースといった感じ。メインのスピーカーはどうやら自作で天井まで積み上げられ、さらにこの日はオーガナイザー自前のマスターブラスターが追加されていた。上半身裸はもちろん、Eとペイントされた唐笠を被った男や、松葉杖持って駆けつけた人がフロアにいたり、車椅子で来ている人がいたのだが次に目撃したのはブースに入ってマイクを持っている姿だった。そういえば以前レコード屋勤務時代に来たシカゴ帰りの客から、Paul JohnsonのDJ話を聞いたことがあるが、実際目撃したのは初めて。店内に描かれているペイントなんかを見ても、なかなか元気な連中が集まる場所っぽい。松江の音モダチ曰く、山陰は変態が多いのだそうだ。この日の集まりをみるとうなずける。変態つながりの神戸、大阪、京都、岡山、愛媛人をこの日確認。都会のパーティーと比べても、集まる人の元気さ、エネルギーはかなりの感じだ。深夜の更に深い時間になっても続々と女子らが入ってくるので、気になってバーにいたとてもいい顔をした兄さんに話かけてみる。いるだけで安心出来てしまう柔らかなオーラをまとった笑顔の彼がどうやらオーナーらしい。米子の酒場の営業明けの人達や、近所の温泉街の旅館の若女将なんかが来ていたようだ。

米子Breaks、もう8年になるそう。パーティーオーガナイザーから受けたテキーラと、京都から来てた音モダチからの朝方のダメ押しで潰れてしまったので、リベンジに行きたい。帰りは強烈な冬将軍で死ぬかと思った。冬の米子道、スタッドレスとチェーンを忘れずに。蒜山SAはマストですが、もひとつ米子寄り、地味な大山PAのしじみご飯350円がとても旨かった。晴れていれば景色も最高なはず!

Breaks web

2010年1月28日木曜日

JFD-002.4 SUPPORT YOUR LOCAL 2009

 
■■■that's my favorite

今年最も急速かつ親密になった奴らがいる街。
それは今まで高速道路で通過するだけで、失礼ながら何の興味も抱かなかった岐阜だった。

会ったその日から数年来とも思えるフィ-リングと常に笑顔で経ち振る舞う彼らの遊び場は岐阜の駅からそう遠くはない4階建ての雑居ビルである。2階に入っている外国人BAR以外は3・4階がクラブ、1階がクラブのオーナーが経営する創作居酒屋という素晴らしい組み合わせ。ほとんど自分たちで内装などもこなし、仲間が店のロゴやフライヤーをデザインすると言うなかなかに理想的な店である。

まずは1階の居酒屋(*1)から紹介すると、週末に数回しか行っていないのでその時の感想しか書けないが、程よく落ち着いた照明と、清潔感のある内装、そしてなにより何を頼んでも美味い。DJの前、DANCEの前にテンションが上がらない訳がない。しかも階段を上がればすぐにクラブがあるなんて! ついつい長居してしまうが、ほかの客もOLやサラリーマンから若者まで楽しそうに食事をしているのを垣間みると、いい店だとステキな店だというのが分かるだろう。

次にクラブ。(*2)今年OPENしたばかりのこのクラブには東京や大阪などからGUESTを呼び、11月にはSOULPHICTIONもLIVEを行い、12月にはJUZU a.k.a.MOOCHY、1月には田中フミヤ等を招聘、益々楽しみなスケジュールは地元でもないのにこまめにチェックしてしまう。
1FLOOR20坪程度だろうか。BAR+FLOORの3F、ソファがいくつも並ぶ4Fの組み合わせは、もっと大きな街にもなかなかないアットホームではあるが小綺麗で好感が持てる遊び場だ。

もう少し言わせてもらえば、個人的な意見だが酒が大阪や東京より安く、丁寧に作ってくれるのでウマい。クラッシュアイスのような氷がグラスの半分以上を占め、その上から安い酒たちを雑に注ぎ、到底ステアとは言えないただ乱暴に上下に混ぜて700円ってとこのは頼めないし、おごりでもあまり飲みたくもない。(もちろんそう言った店ばかりでもないし、土地代が酒代に加算されているのはCLUBでもBARでも働いた経験から充分に承知している。)こういった基本的な事が普通に出来ているだけで居心地は随分良くなり、結局酒はどんどん進む。

ともあれ、来ている客もとても親しみやすい。例外として前回DJをした後にオーナーに紹介された女の子にいきなり肩に噛み付かれはしたが、まあそれはそれで良しとする。大阪でそういった輩に出会えば到底それだけでは済まないわけであるから。

なんにせよ、まだまだ伸びシロを感じるし、また行きたいと思える箱である。自分たちが楽しむというスタイルを貫きつつ、来てくれた人達へ居心地の良い時間を。これは当たり前だが、通りに何件もクラブがある大都市ではあまり感じられない事が多い。

もっと多くの街にもっと色々な場所・店があることは周知であり、もちろんそのほとんどに自分が足を運んだり出来ていない事も事実だが、新しく出来たそういったLOCALのGOOD PLACEになるであろう上記の店とそのスタッフ達を好きになるのは何も特別なものではないはずだ。

音楽を通して、今までお互いが会わずとも同じ趣向のモノを好み、それらを自分たちの方法で楽しんでいた人間達が出会い、アっという間に意気投合する事の素晴らしさも改めて実感する機会を与えてくれた店に、来年は何度足を運ぶ事になるか今から楽しみである。


(*1)KIKKOU - 亀甲 -
 岐阜県岐阜市神田町2-8
 tel/058-263-7133
 open/17:30~24:00(金・土は翌2:00)

(*2)EMERALDA
 岐阜県岐阜市神田町2-8
 Hikari Bld 3F/4F
 tel 058-263-7132